ピロートーク:国道171号線にとって西国街道とは何か
(あえて列挙するほどレアなケースでもないが、書きたかったので)
ではさらに内輪、つまり最高におもしろくするにはどうすればよいか。”状況”というz軸を考えなければならない。とすれば、必然的に最強の状況として「事後の恋人」「ピロートーク中」が挙げられるはずだ。
(事後で尻を触りながら)これ桃みたいやなあ。桃やわ。桃いうたら安藤百福やな。せやでチキンラーメン作った人やで。池田の五月山に御殿立ててなあ知らんけど。ほなこの右側を池田市として、間の裂け目を箕面川とするで?えー、ほなこっちは?豊中!?カーッ、北摂3自治体欲張りボディいう話やな。この辺はややこしいねん。伊丹空港の中に伊丹市の交番と豊中市の交番があるさかいにな。いやそんなんどうでもええわ。こっち側が豊中やな?ほなマァここあたりが待兼山、阪大やな。豊中市待兼山1−1−1。蛍池でもろた訳分からん新興宗教のビラの宛先をここにするいう迷惑な思い切りよ。カンボジア王国友好勲章持ってますわ。尻っていうか、ツーケーな。ケツなんて言いなさんな、ツーケーや。雅語や。ツーケーをこうして南へ下るともう豊中駅や。大阪芸大出たなあ長尾謙一郎が『ギャラクシー銀座』いう漫画で言うてたわ。ピアノってのは女性(にょしょう)のツーケーやと。まずはシャンと撫でてみなさい。時にはひっぱたいてやれ!これがシャンソンの世界やいうてな。庄内の方へ行くと大阪音大もあってな。尻がピアノで尻の上に音大、G線上のアリアみたいなもんやな。いや庄内は行き過ぎや。岡町まで戻ろ。ここで阪急バスつこて東に行こか。時期に桃山台に着くわ。北大阪急行のなあ。桃山学院大学やおまへんで。桃の中に桃山台があって、でも桃山学院はなくて…
全く否定できない。
勃起、ナンセンスな笑いとしてのエロマンガ
いかにして僕はエロマンガを楽しむようになったか?
疲れたとき、皆さんはどういう風に過ごすだろうか。ぼーっとしたり、インターネットをみたり、スマホゲームをしたり、いろいろな過ごし方があると思う。最近、上にあげたことのほかに、「エロマンガ」を読むと心が落ち着くことに気がついた。こんなこと気づきたくなかったが事実だから仕方がない。なぜエロマンガが心に平静をもたらすのか?今日はそれを伝えたいと思う。
ここでいうエロマンガとは、ネットにあげられているもののこと。これをスマホでみる。同人誌とかより、完全にオリジナルストーリーのものがよい。そしてできれば絵柄がうまくもなく下手でもない、そしてストーリーもごくごくありきたりな(学校帰りに幼なじみと…/欲求不満な人妻と知り合って…/のような)「普遍的なエロさ」のものが好ましい。
疲れているときにエロマンガを読むと、心が穏やかになる。とはいえ、それは勃起しないということではない。勃起はする。ただ、それは、「しこりたい!」という欲求が具現化したようなあの猛々しい勃起ではなく、かぎりなくナチュラルで自然な勃起なのだ。ただ海綿体に血液が送り込まれるという物理現象が生じているだけ。あの勃起の穏やかさを表すのに適切な言葉を僕はまだ知らない。とはいえ、あえて言うなら、漫画『鉄コン筋クリート』に出てくる登場人物シロの台詞、「安全安心!」が一番近いような気がする。
さて、前置きはこれくらいにして、核心に切り込んでいこう。分析するに、エロマンガが持つ鎮静作用は次のような側面から説明できそうだ。
- ①予定調和
- エロマンガに様式美はあってもカタルシスはない。それがいい。必ず二人以上の人間が出てきて、何ページも費やしてねちっこくセックスする。煎じ詰めればどんなストーリーでも筋はそれだけだ。そこには水戸黄門のような予定調和があり、見ていて安心できる。
- ②バカバカしさ
- エロマンガの消費者はたいてい男である。よって描かれるのは男の理想とするセックスであり、交尾であり、まぐわいである。ねちっこい性描写と、絶頂して悶え感じる女の子さえいればそれはもう立派なエロマンガだ。だから、二人がセックスに至る過程は適当で無理矢理なのだ。が、そのばかばかしさがいい。しょうもないストーリーが角に詰め込まれたエロ表現を引き立てるスパイスになっている。「催眠アプリで女の子を洗脳!」ってなんやねん!でも、頭空っぽの方が夢詰め込めるのも本当。
- ③価値付けの容易さ
- 芸術的な映画、おもしろい小説、すばらしいクラシック。これらの価値を判断する基準は「人それぞれ」だろうが、「良いエロマンガ」を見分けるのはずっと簡単だ。ヌケれば正義。これほどまでに「実用性」「目的」がはっきりしているフィクションって、あまりほかには思いつかない。ヌケれば官軍。そして、これは①とも関連するけれど……。エロいエロマンガはその目的を達成するべく、構成、絵柄、キャラクター、シチュエーションが練りにねられている。この「目的意識の堅固さ」は、時に意志薄弱な僕らを有無をいわさず射精へと導いてくれるのだ。そこには絶対崩れることのない堅固な地盤がある。安心感がある。僕たちはエロマンガでしこっているのではない。エロマンガのもつ「目的の確かさ」の手応えをしこっている。
伝わっただろうか?良質なエロマンガが一流のポルノであると同時に、綿密に計算された安定感とほどよいナンセンスを潜ませていることを。僕が疲れているときにエロマンガを無心に読むのは、きっとその「かわらない品質」が安心を与えてくれるからだろう。
(文・タイコンデロガ森下)
なぜ立体交差点か?
なぜ立体交差点か?
”コンテクストを無視して考えたとき(当たり前の話なんですが)立体交差点というのは単に三次元での交わる点を意味する。それって凄くエロいですよね。一番セックスを客観的に現している。ネトラレをセックスの俯瞰と定義するならば立体交差点は言葉のネトラレなんですよ。セックスという単語にしても、和姦という言葉にしても、それぞれにニュアンスで味付けがなされてしまっている。しかし立体交差点という言葉にはそれがない。なぜならセックスを表す言葉として使用されていないから。ある意味言葉のヌードなんですよ。AVで見る裸よりも、映画で見る裸の方がエロいですよね。それと同じです。”