RICCO(立体交差点)

100%の反テキストサイト/見ただけで射精させるから書きながら勃起する

勃起、ナンセンスな笑いとしてのエロマンガ

いかにして僕はエロマンガを楽しむようになったか?

 疲れたとき、皆さんはどういう風に過ごすだろうか。ぼーっとしたり、インターネットをみたり、スマホゲームをしたり、いろいろな過ごし方があると思う。最近、上にあげたことのほかに、エロマンガ」を読むと心が落ち着くことに気がついた。こんなこと気づきたくなかったが事実だから仕方がない。なぜエロマンガが心に平静をもたらすのか?今日はそれを伝えたいと思う。

 ここでいうエロマンガとは、ネットにあげられているもののこと。これをスマホでみる。同人誌とかより、完全にオリジナルストーリーのものがよい。そしてできれば絵柄がうまくもなく下手でもない、そしてストーリーもごくごくありきたりな(学校帰りに幼なじみと…/欲求不満な人妻と知り合って…/のような)「普遍的なエロさ」のものが好ましい。


 疲れているときにエロマンガを読むと、心が穏やかになる。とはいえ、それは勃起しないということではない。勃起はする。ただ、それは、「しこりたい!」という欲求が具現化したようなあの猛々しい勃起ではなく、かぎりなくナチュラルで自然な勃起なのだ。ただ海綿体に血液が送り込まれるという物理現象が生じているだけ。あの勃起の穏やかさを表すのに適切な言葉を僕はまだ知らない。とはいえ、あえて言うなら、漫画『鉄コン筋クリート』に出てくる登場人物シロの台詞、「安全安心!」が一番近いような気がする。

 


 さて、前置きはこれくらいにして、核心に切り込んでいこう。分析するに、エロマンガが持つ鎮静作用は次のような側面から説明できそうだ。

 

①予定調和
エロマンガに様式美はあってもカタルシスはない。それがいい。必ず二人以上の人間が出てきて、何ページも費やしてねちっこくセックスする。煎じ詰めればどんなストーリーでも筋はそれだけだ。そこには水戸黄門のような予定調和があり、見ていて安心できる。
②バカバカしさ
エロマンガの消費者はたいてい男である。よって描かれるのは男の理想とするセックスであり、交尾であり、まぐわいである。ねちっこい性描写と、絶頂して悶え感じる女の子さえいればそれはもう立派なエロマンガだ。だから、二人がセックスに至る過程は適当で無理矢理なのだ。が、そのばかばかしさがいい。しょうもないストーリーが角に詰め込まれたエロ表現を引き立てるスパイスになっている。「催眠アプリで女の子を洗脳!」ってなんやねん!でも、頭空っぽの方が夢詰め込めるのも本当。
③価値付けの容易さ
芸術的な映画、おもしろい小説、すばらしいクラシック。これらの価値を判断する基準は「人それぞれ」だろうが、「良いエロマンガ」を見分けるのはずっと簡単だ。ヌケれば正義。これほどまでに「実用性」「目的」がはっきりしているフィクションって、あまりほかには思いつかない。ヌケれば官軍。そして、これは①とも関連するけれど……。エロいエロマンガはその目的を達成するべく、構成、絵柄、キャラクター、シチュエーションが練りにねられている。この「目的意識の堅固さ」は、時に意志薄弱な僕らを有無をいわさず射精へと導いてくれるのだ。そこには絶対崩れることのない堅固な地盤がある。安心感がある。僕たちはエロマンガでしこっているのではない。エロマンガのもつ「目的の確かさ」の手応えをしこっている。

 伝わっただろうか?良質なエロマンガが一流のポルノであると同時に、綿密に計算された安定感とほどよいナンセンスを潜ませていることを。僕が疲れているときにエロマンガを無心に読むのは、きっとその「かわらない品質」が安心を与えてくれるからだろう。

 

(文・タイコンデロガ森下)