RICCO(立体交差点)

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ピロートーク:国道171号線にとって西国街道とは何か

つまるところ内輪ネタが一番おもしろい。
 
しかし内輪の外に出てみよう。これは世界で一番つまらなくなってしまう。高校に入学したばかりの時期や、アルバイト初日に変なノリを見せられて唖然とした経験はないだろうか。
 
内輪とは何か。成立する条件を大きく2つに分けてみた。
 
まずは話題の選択である。日常のあるあるも結局、広い意味でのあるあるだ。もっと狭めて言ってもいい、世代論、就活、アート、下ネタ。なんでもいい。
 
もう1つが人間関係だ。我々は社会に生きる。家族、友人、恋人、所属コミュニティ、会社の同僚などとの関係性によって成り立ち、彼らにとって遠くない話題を共有しあう。オカンとマルクスの話なんてしないでしょ?
 
上の2つを鑑みたとき、地理は最も使い勝手のいい内輪ノリとなる。地理は深掘りすればするほど内輪度合いも高まる上に、そうでありながら関わる人数の多さは保証されている。実にコスパがいい。
 
実際にネタで地理をうまく使いこなしてる漫才は多い。ナイツ、ブラマヨどきどきキャンプミヤシタガク、ウサギとカメ(解散)...

(あえて列挙するほどレアなケースでもないが、書きたかったので)

 

ではさらに内輪、つまり最高におもしろくするにはどうすればよいか。”状況”というz軸を考えなければならない。とすれば、必然的に最強の状況として「事後の恋人」「ピロートーク中」が挙げられるはずだ。

 
この時ほど多幸感に溢れてリラックスしており、なんでも話したくなる時間はない。頭の片隅に変なプライドもないからこそ、キレイなxyzの最大値が叩き出せるというものだ。昨年の瞬間最大風速を叩きだした地理ネタ内輪ピロートークを見てみよう。文体が講談みたいで愉快だから飛ばし読みはしないほうがいいですよ。
 
(事後で尻を触りながら)
これ桃みたいやなあ。桃やわ。桃いうたら安藤百福やな。せやでチキンラーメン作った人やで。池田の五月山に御殿立ててなあ知らんけど。ほなこの右側を池田市として、間の裂け目を箕面川とするで?えー、ほなこっちは?豊中!?カーッ、北摂自治体欲張りボディいう話やな。この辺はややこしいねん。伊丹空港の中に伊丹市の交番と豊中市の交番があるさかいにな。いやそんなんどうでもええわ。
 
こっち側が豊中やな?ほなマァここあたりが待兼山、阪大やな。豊中市待兼山1−1−1。蛍池でもろた訳分からん新興宗教のビラの宛先をここにするいう迷惑な思い切りよ。カンボジア王国友好勲章持ってますわ。尻っていうか、ツーケーな。ケツなんて言いなさんな、ツーケーや。雅語や。ツーケーをこうして南へ下るともう豊中駅や。大阪芸大出たなあ長尾謙一郎が『ギャラクシー銀座』いう漫画で言うてたわ。ピアノってのは女性(にょしょう)のツーケーやと。まずはシャンと撫でてみなさい。時にはひっぱたいてやれ!これがシャンソンの世界やいうてな。庄内の方へ行くと大阪音大もあってな。尻がピアノで尻の上に音大、G線上のアリアみたいなもんやな。いや庄内は行き過ぎや。岡町まで戻ろ。ここで阪急バスつこて東に行こか。時期に桃山台に着くわ。北大阪急行のなあ。桃山学院大学やおまへんで。桃の中に桃山台があって、でも桃山学院はなくて…
正直な話、このピロートークを下書きをしている時点で僕は参ってしまった。こんなにも気持ちの悪い日本語文がこの世に存在しているなんて信じたくもないし、それが平凡な24歳の男から生まれたなんてホラーでしかない。あとどこが講談やねん。
 
勘違いしないでほしいのは、スベった箇所など1つもなかった。東西南北を決め、尻の街を思うままに開拓する僕は控えめに言ってもイザナギである。成り成りて成り余れるところを、成り成りて成り合わぬところに入れた後のイザナギ。国を産んだのは僕だ。相手も、自らの臀部に大阪の地名が刻まれるたびに大爆笑していた。もっと引きの地図で関西を解説してくれとも言われ、そのあまりのウケっぷりに僕はLINEノートに仔細を書き込んだ。それくらいの破壊力がある。この時の僕は、ラディカルに言えば、ピロートークしたさが行為したさを上回っていた。
 
どうしても我慢できずにトーク部分だけを数人の友人に披露した。やはりウケた。しかし、手応えがあまりない。知り合い程度の女性に披露したところ「君は自分に酔いすぎている。相手を思ってないし、本当に好きなのは自分自身だろう。彼女がかわいそう」と言われた。内輪ノリで偶然精錬されたこのピロートークはある種の完成形であるにせよ、どぶろくのような濁りがある。相手を思ったマネタイズの欠如を切り口に、自己分析してこう思った。
 

全く否定できない。

 
この種の内輪ノリが引き起こす笑いの大きさは双方にとっての快だ。僕のこうした秘密裏な計画が相手に気付かれることはなかった。申し訳ないけど、僕はガールフレンドなんかよりも松本人志の方が好きだった。松本人志より好きなものを2つ挙げるなら、外国語を学ぶこととピロートーク中に相手が先に寝てしまったとき「こっから面白くなるのに…」とひとりで呟く瞬間だ。
 
ではピロートークは全てをさらけ出せる時間・全てを受け止める時間か?
 
全てをさらけ出せる条件が整っているとは言え、自分の悩みやつらい過去を開陳するのは、聞き手にとっても話し手にとっても非常に負担を強いられる。だから戯画化し、時にはトラジコメディーのように語り自分なりのカタルシスを提示する。ある意味では過去の超克であり、進歩だ。誰にも否定はできない。それが超クローズド内輪ノリでウケるのも納得できる。
 
僕はこれができない。だからピロートークでボケ続けるのだろう。
 
国道171号線(通称イナイチ)、京都市から兵庫県西宮市を経由して神戸市へと向かう道路がある。何度か171号線の渋滞に巻き込まれて、神戸までの道が凡人同士の人生レースに思えてきた。多くの人はゴールの神戸(人によっては下関かもしれないけど)を目指す。凡人である僕は多くの人と同じように、国道を走る。ただ人よりちょっと口がうまいとか、ちょっとだけ外国語ができるとか、いい人に出会えたとか、思わぬ漁夫の利を得たりとか、極めて普通のよくある例外を経験してきた。
 
イナイチにほぼ並行して西国街道という細い道がある。およそ普通自動車が一台通れるほどの幅だ。イナイチで渋滞に巻き込まれても僕は隙を見て西国街道に原付で逃げ込み、ショートカットして、また元の車線に戻るような人生を歩んできた。時には用もないのにガソリンスタンドに入って、会釈だけして西国街道にするすると逃げ込むこともあった。多かれ少なかれ誰にでもある経験だが、僕は大学入学以降こうした経験が割と多い。
 
しかし僕は凡人だ。途中、いつもの調子で横道に逃げようとしたところ、新御堂筋に入っていた。流れ着いた中央環状の自動車が怖い。そもそも原付は通ってはいけない。力量が違いすぎる。このままでは走り続けられない。適当な府道に出ると、43号線。ここはどこだ。大きく踏み出してみたものの、僕は豊中駅周辺であたふたしている。小さく収まりかねない今日この頃である。
 
...と、内輪ノリの条件をぶっ壊す暗すぎる話だ。(普段が陽気すぎるのでこのレベルでスーパー陰鬱)
 
これがウケないのは単純におもしろくないからだ。なぜ面白くないかと言うと、自分の人生観を未だ超克しきっておらず、一番気持ち悪い状態だからだろう。ピロートークだから聞いてくれた。恋人はそれでも楽しかったかもしれない。しかし彼女が腹ペコだからといって、僕は孵化しかけのアヒル卵を無理やり食わせたようなものだ。
 
(ちなみにベトナムではこの料理をホビロンと呼ぶ。香草や塩の組み合わせによってはうまい。ただしうまいと思う人間がいようとビジュアルがグロいことには変わりない)